2026/03/06 09:49
こんにちは、Maeshinです🙏
いつも応援して下さりありがとうございます😊😊
今回はMaeshinを突き動かす根底で燃えたぎっているエネルギーや情熱みたいなものについて書いてみようと思います💪
難しい言い回しをしましたが早い話、Maeshinなんで作家なんてやってんの⁉みたいな話です。
恒例となりつつあるタイトルネタバレですが結論から書いていきます。
負け続けてきたから。
ざっくりですがちょっと過去の話をしていきますね。
少々長くなりますがお付き合い下さい🙏
以前に書いた自己紹介の記事でMaeshinは元々プロカメラマンをしていたと書いていたと思うのですが、実はプロカメラマンよりも前、10代〜20代前半まではミュージシャンをしていたんですね。
曲作ってみたりアメリカに修業しに行ったりなどなど自分なりに頑張ってはいたんですが、やっぱり夢敗れる瞬間というのは訪れてしまいまして。。
バンドというのはアンサンブルなので複数人が集まってはじめて成立するわけなんですが、ただ単純に複数人が集まれば成立するというものではない。。
同じ音楽性の、
同じぐらいの情熱を持った、
同年代の、、
同じ演奏レベルの、、
同じ方向性で、
同じぐらいのフットワークの軽さで動ける、などなど、、
多くの共通点を持ち合わせた複数人が楽器の数だけ集まってようやく成立するわけです。。
ブルースやゴスペルなど特に日本で流行っているわけではない、寧ろ超絶マイナーな音楽性だったりすると余計に同年代でメンバーを探すというのがほぼ無理ゲーになってくるわけです☠️💀
当時のMaeshinは20代もそろそろ半ば。。
このまま音楽をやっていて大丈夫なのか、とちょっと焦ってきていました💦
今思うと何も焦る必要なんてないぐらい全然若いですが当事者には分からないもんです(笑)👈若いって素晴らしい😂☝️
今みたいにAIは無かったですが、MIDIやDTMなどは存在していたのでパソコンの打ち込みでも使って頑張れば良かったのですが、思考も視野も狭かったので『音楽は生音で作ってなんぼ!』みたいな変なプライドが邪魔してしまっていたんですね。。👈" プライドの高さ "とは何歳になっても邪魔になるものです(笑)
さて、そんな感じで20代前半を過ごしていたわけですが、バンドのメンバー探しに辟易してしまっていたある日、ポキッと心が折れてしまった瞬間が訪れたのを覚えています。
あー、もういいや。。って。
これはもう本当にはっきりと折れた感覚がありました。。
これが一度目の敗北です。
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こうして10代前半から情熱を注ぎ続けて頑張ってきた音楽活動から身を引く止という決断を下したMaeshinは次にカメラを手に取ることにしました。
音楽以外に何も情熱を注いだりしてなかったし大したことない学歴もなく、職歴もないので就職という考えははじめてからなかったんですね。
で、写真なんて興味すらなかったのになぜカメラを選んだかというと、とても単純で不純な理由です。
" 一人で " できると思ったから。
"メンバーを集める"という作業が苦行だったこともあり、もはや複数人を集めるという行為に嫌気がしていたんでしょうね。
自分の実力さえ磨いて確固たるものにすれば生きていけるのでは、、そんなことを考えていたのをなんとなく覚えています。
さて、そんな不純な動機でカメラを手にした当時の初心者Maeshinはいきなり海外に行きます(笑)

音楽をやっていた時から海外(アメリカばかりでしたが)にはちょいちょい行っていたのであんまり国境というものを感じてなかったんです(笑)
" 行けばなんとかなるだろう精神 " でフィリピンはマニラに。。
右も左も分からない、わりと治安も悪い場所に1人で辿り着き、毎日武者修行のように写真を撮ってました。
写真が好きという気持ちをあの頃に持ち合わせていたかどうかは分かりません。
ただ、好きになろうとはしていたような記憶は朧げですがありますし、何よりもこれからカメラと写真を武器に生きていこうとするのに必死だったことだけは覚えています。
いやぁ、当時のMaeshin、若いですねぇー(笑)
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さて、書いていてちょっと長くなりそうだなとなったので何回かに分けてお届けすることにします。
今回はいったんこのへんで😂🙏
最後まで読んで下さりありがとうございました!
